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Friday, August 10, 2018

Bridge Gallery - Chitosebashi @Toyoshimaku 千登世橋

千登世橋(ちとせばし)
東京都豊島区目白1丁目と雑司が谷との境界にある跨道橋
竣工 昭和7年2月(1932年)
開通 昭和8年(1933年)
(Wikipedia)





 また同Wikipediaによると、「戦前の完成で、幹線道路同士の立体交差としては都内で最初期のものであり、今なお現役であるため土木技術的価値も高く「東京都の著名橋」の一つでもある。 平成2年(1990年)には町の美観と調和させるため親柱や高欄の意匠が改修された。」

Tuesday, February 10, 2015

Bridge Gallery - Mansebashi 橋ギャラリー 萬世橋

Wikipediaによると、
万世橋(まんせいばし)は、東京都千代田区にある、神田川に架かる橋の1つ。中央通り(国道17号)上にある。
万世橋の歴史は、1676年(延宝4年)に架けられた筋違橋(すじかいばし)に遡る。当橋は、徳川将軍が寛永寺に詣でる時に渡る橋で、現在の昌平橋と万世橋との中間にあった。すぐ南に筋違見附があり、橋はその見附の付属物であった。
1872年(明治5年)に筋違見附が取り壊され、翌1873年(明治6年)にその石材を再利用して、筋違橋の場所にアーチ二連の石造りの橋が完成し、当時の東京府知事大久保忠寛が萬世橋(よろずよばし)と命名したが、次第にまんせいばしという音読みの方が一般化した。眼鏡橋とも呼ばれた。
上流の昌平橋が1873年(明治6年)に洪水に流され、1896年(明治29年)に復旧される迄は、現在の万世橋の位置に仮木橋が架けられ、それが昌平橋と呼ばれた。即ちこの期間は、万世橋の下流に昌平橋があった。
1903年(明治36年)、一時昌平橋と呼ばれた仮木橋の場所(現在の位置)に新万世橋が架け直され、元万世橋と名を変えた上流の眼鏡橋の方は、1906年(明治39年)に撤去された。新万世橋は1923年(大正12年)の関東大震災で被災し、直ちに修復された。
大震災後の帝都復興事業に指定され、東京地下鉄道の渡河工事に伴う水路変更の必要もあって、一旦東側下流の木製仮橋に移転した後、1930年(昭和5年)に長さ26m、幅36m、石及びコンクリート混成の現在のアーチ橋に架け替えられた。南側より北側が広い橋詰広場や、欄干袂の機械室と船着場は、地下鉄建設時の経緯に依る。













Wednesday, January 28, 2015

Bridge Gallery - Daishihashi 橋ギャラリー 多摩川の大師橋

 Wikipediaによると、「大師橋(だいしはし)は、多摩川にかかる橋で、東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線(産業道路)を通す。名称の由来である川崎大師は大師橋の南西約1キロメートルのところにある。同橋は川崎市が管理している。」
左岸の端にある歩道から
右岸の端に近い歩道から
左岸から
旧大師橋の跡地から
大師橋の左橋に近いところから上流に向かうパノラマ
大師橋の左岸の下から
右岸の多摩川河口付近から見る大師橋
左岸の橋下
2径間鋼斜張橋および2径間連続鋼箱桁という形式
渡しの時代から、旧大師橋、そして新しい大師橋の紹介
渡しの時代(~昭和14年)
暴れ川と言われ多摩川は毎年のように洪水を起こし、そのたびに橋が流されてしまったため、横断は渡舟による「渡し」が主流でした。この辺りでは「羽田の渡し」「大師の渡し」が、農作物(特に年貢米)や海産物の流通、耕作地への移動、川崎大師(平間寺)や穴守神社の参拝などに利用されていました。特に、「羽田の渡し」は参詣客で大変繁盛し、本街道の「六郷の渡し」の客足が減って困った川崎宿が幕府に通行禁止を願い出たほどでした。また、徳川家康が狩りに来た際、一人で立ち寄った家康をそれと知らずに、先頭が馬のあぶみを取ったという故事が残されています。
旧大師橋(昭和14年~平成9年)
昭和期の経済成長の中、交通量の増加に対応すべく始まった「産業道路」の整備にともなって大師橋が建設され、昭和14年10月に完成しました。
旧大師橋はゲルバー式鋼トラス(突桁式鋼トラス)と、ゲルバー式鈑桁を組み合わせた前兆553mの道路橋で、この形式の橋は当時東洋一の規模となり、また入り組んだ骨組が描く緩やかな曲線が美しかったことから名橋と称され愛されました。
そしてあたらしい大師橋へ(平成9年~)
しかし、交通量増加による渋滞の恒常化、また老朽化により、旧大師橋は寿命を迎えます。
工事中も交通を確保するため、まず旧橋の下流に下り線を新設、下り線へ交通切り替えを行った後に旧大師橋を撤去、旧橋撤去個所により線を新設という手順で工事が実施されました。
下り線は平成9年9月に完成、ここで旧大師橋は58年に渡る役目を終えたのです。
上り線は平成18年11月に完成し、大師橋の架け替え事業が完了しました。


Tokyo Bridge Gallery - Tenkubashi in Tokyo Otaku 橋ギャラリー -大田区の天空橋

 Wikipediaによると、「天空橋駅(てんくうばしえき)は、東京都大田区羽田空港一丁目にある、京浜急行電鉄・東京モノレールの駅である。京急空港線の駅番号はKK15。 現在の駅の名称は、近くの海老取川に架かる人道橋「天空橋」に由来している。」
天空橋駅から出てすぐ
橋に向かって左側から見る景色
同じ端の右から見る景色
多摩川河口に向かって少し歩いたところから見る景色

Friday, March 21, 2014

Akashi Kaikyō Bridge 明石海峡大橋

舞子駅を出て見られる明石海峡大橋


釣り橋のケーブル

夕日の撮影をする人




舞子駅から出てすぐの公園。奥の方には明石海峡大橋が見える
ケーブル諸元
吊り橋の命であるメインケーブルは片側1本で計2本、1本につき290本のストランド(正6角形に束ねられたワイヤー)で構成されている。そのストランドは127本のワイヤー(高強度亜鉛めっき鋼製)で構成され、ケーブル1本の合計で36830本のワイヤーを使用していることになる。この橋のために、直径5.23mmで引張り強度は1mm2あたり180kgのワイヤーが新たに開発された。1本のケーブルの直径は112.2cmになり、約6万トンの荷重を支える。風雨から保護し、腐食(錆び)を防止するため、表面をゴムで覆い、さらに内部に脱塩、乾燥した空気を常時送風している。ケーブル架設の第一歩であるパイロットロープ(ポリアラミド繊維製)の渡海には、世界で初めてヘリコプターが使用された。メインケーブルを構成するワイヤー1本1本をつなぎ合わせた時の合計距離は約30万km(地球を7周半分に相当)にもおよぶ(wikipedia)。

Monday, March 3, 2014

Tokyo Bridge Gallery - Komagatabashi 駒形橋写真ギャラリー










駒形橋から下流への眺望。隣の吾妻橋を一望できる
浅草方面の端にある「御柱」
昭和62年度東京都文化のデザイン事業
制作 安達 裕
浅草方面の端につながる江戸通りと雷門通りの交差点
同交差点。左側は浅草駅ビル。東武鉄道伊勢崎線の浅草駅
Wikipediaによると、
駒形橋(こまがたばし)は、1927年(昭和2年)に竣工した隅田川にかかる橋で、東京都道463号上野月島線(浅草通り)を通す。西岸は台東区雷門二丁目、および駒形二丁目を分かち、東岸は墨田区東駒形一丁目と吾妻橋一丁目を分かつ。橋名は橋の西詰にある「駒形堂」に因む。
関東大震災後の復興計画により現在の橋がはじめて架橋された。それまでは「駒形の渡し」があった場所である。
橋の概要

  • 構造形式
  • 中央径間:中路式ソリッドリブタイドアーチ橋
  • 側径間:上路式ソリッドリブアーチ橋
  • 橋長 149.6m
  • 幅員 22.0m
  • 着工 1924年(大正13年)7月
  • 竣工 1927年(昭和2年)6月25日
  • 施工主体 東京市復興局
  • 橋梁設計 岩切良助
  • 橋桁制作 汽車製造