Wednesday, January 28, 2015

Bridge Gallery - Daishihashi 橋ギャラリー 多摩川の大師橋

 Wikipediaによると、「大師橋(だいしはし)は、多摩川にかかる橋で、東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線(産業道路)を通す。名称の由来である川崎大師は大師橋の南西約1キロメートルのところにある。同橋は川崎市が管理している。」
左岸の端にある歩道から
右岸の端に近い歩道から
左岸から
旧大師橋の跡地から
大師橋の左橋に近いところから上流に向かうパノラマ
大師橋の左岸の下から
右岸の多摩川河口付近から見る大師橋
左岸の橋下
2径間鋼斜張橋および2径間連続鋼箱桁という形式
渡しの時代から、旧大師橋、そして新しい大師橋の紹介
渡しの時代(~昭和14年)
暴れ川と言われ多摩川は毎年のように洪水を起こし、そのたびに橋が流されてしまったため、横断は渡舟による「渡し」が主流でした。この辺りでは「羽田の渡し」「大師の渡し」が、農作物(特に年貢米)や海産物の流通、耕作地への移動、川崎大師(平間寺)や穴守神社の参拝などに利用されていました。特に、「羽田の渡し」は参詣客で大変繁盛し、本街道の「六郷の渡し」の客足が減って困った川崎宿が幕府に通行禁止を願い出たほどでした。また、徳川家康が狩りに来た際、一人で立ち寄った家康をそれと知らずに、先頭が馬のあぶみを取ったという故事が残されています。
旧大師橋(昭和14年~平成9年)
昭和期の経済成長の中、交通量の増加に対応すべく始まった「産業道路」の整備にともなって大師橋が建設され、昭和14年10月に完成しました。
旧大師橋はゲルバー式鋼トラス(突桁式鋼トラス)と、ゲルバー式鈑桁を組み合わせた前兆553mの道路橋で、この形式の橋は当時東洋一の規模となり、また入り組んだ骨組が描く緩やかな曲線が美しかったことから名橋と称され愛されました。
そしてあたらしい大師橋へ(平成9年~)
しかし、交通量増加による渋滞の恒常化、また老朽化により、旧大師橋は寿命を迎えます。
工事中も交通を確保するため、まず旧橋の下流に下り線を新設、下り線へ交通切り替えを行った後に旧大師橋を撤去、旧橋撤去個所により線を新設という手順で工事が実施されました。
下り線は平成9年9月に完成、ここで旧大師橋は58年に渡る役目を終えたのです。
上り線は平成18年11月に完成し、大師橋の架け替え事業が完了しました。


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