Wednesday, September 18, 2013

Tokyo's Bridges - Kiyosubashi 東京の端ギャラリー:清洲橋

 永代橋の近くで立てられている説明によると、
 「復興は橋より」、これが関東大震災後の復興事業の合い言葉でした。帝都を代表する隅田川の入口にあたる第一、第二橋梁は、筋骨隆々とした男性的なイメージ(永代橋)と優美な下垂曲線を描く女性的なイメージ(清洲橋)で演出されました。
 これに加えて土木学会では、次のような理由から永代橋と清洲橋をワンセットにして、第一回選奨土木遺産に選定しました。
 二つの橋は、近代橋梁技術の粋をあつめてつくられた震災復興橋梁群の中心的存在である。
 清洲橋は、美しさを追求した特殊な吊橋である。
デッキから見た清洲橋
橋上の歩道から
橋の下から見た清洲橋
デッキからのパノラマ
橋の上から南に向かって月島が見られる(左側のビル群)
清洲橋の「名札」
清洲橋の東側にある公衆トイレ。屋根は清洲橋の形をしている
 清洲橋きよすばし)は、隅田川にかかる橋で、東京都道474号浜町北砂町線(清洲橋通り)を通す。西岸は中央区日本橋中洲、東岸は江東区清澄一丁目。「清洲」という名称は公募により、建設当時の両岸である深川区清住町と日本橋区中洲町から採られた。
 関東大震災の震災復興事業として、永代橋と共に計画された橋。「帝都東京の門」と呼称された永代橋と対になるような設計で、「震災復興の華」とも呼ばれた優美なデザインである。当時世界最美の橋と呼ばれたドイツのケルン市にあった大吊り橋をモデルにしている(その橋は第二次世界大戦で破壊された後、別の橋が再建された為、現在は吊り橋ではない)。海軍で研究中であった低マンガン鋼を使用して、鋼材の断面を小さくする努力がなされた。
もともと「中州の渡し」という渡船場があった場所でもある。
 2000年(平成12年)に永代橋と共に土木学会の「第一回土木学会選奨土木遺産」に選定された。
 2007年(平成19年)6月18日に、都道府県の道路橋として初めて勝鬨橋・永代橋と共に国の重要文化財(建造物)に指定された。(wikipedia)

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