Monday, September 23, 2013

Tokyo's Bridges - Hachimanbashi (aka Danjobashi) 東京の橋 八幡橋(旧弾正橋)

八幡橋(旧弾正橋
 八幡橋はちまんばし)は、東京都江東区富岡にある八幡堀遊歩道にかかる人道橋。元は現在の中央区宝町の楓川に架橋されていた三ツ橋のひとつ弾正橋(だんじょうばし)であり、「旧弾正橋」「元弾正橋」とも称される。
 鉄を主材料として造った鉄橋としては日本最古のものと言われ、国の重要文化財に指定されている。名称は橋の西側に在する富岡八幡宮に因む。
明治11年(1878年)11月に京橋区の楓川に、アメリカ人技師スクワイヤー・ウイップルの発明した形式を元に工部省赤羽分局により製作、架橋された。当時は橋幅は9.1m(5間)あったと記録に残る。架設経費は4058円。付近に島田弾正屋敷があったため、弾正橋と称された。当時、馬場先門から本所や深川を結ぶ主要路であったので、文明開化のシンボル的存在の鉄橋であった。
 しかし、大正2年(1912年)の市区改正事業により、北側に新しく弾正橋が架橋されたため、「元弾正橋」と改称され、さらに大正12年(1923年)の関東大震災後の震災復興計画によって廃橋となったが、その由緒を惜しんで現在地に移設。当時、橋下は八幡堀という河川であったが、後に埋め立てられ、現在のような人道陸橋となった。
 昭和52年(1977年)6月27日に国の重要文化財に指定、また平成元年(1989年)には日本ではじめて米国土木学会より「土木学会栄誉賞」が贈られた(wikipedia)。








人力車ベンチ
人力車(じんりきしゃ)とは、人を輸送するための人力による車。横に並べた2つの輪を持つ車に乗客を乗せ、車夫(しゃふ)がこれを曳くという構造をしていた。手押し車のように後ろから押すことによって進む車もあった。日本では、主に明治から大正・昭和初期に移動手段として用いられた。人力俥とも表記する(wikipedia)。

新田橋
江東区木場に架けられていた人道橋。
大正時代に岐阜県から上京して医院を開業した新田さんが、1932年(昭和7)に不慮の事故で亡くなった夫人の霊を慰める「橋供養」の意味を込めて、近所の多くの人たちと協力して架けられたもの。
当初、「新船橋」と呼ばれていたが、人望が厚い人物だったため、亡くなった後、いつしか「新田橋」と呼ばれるようになった。
八幡掘遊歩道
八幡橋
行き方:東西線・大江戸線で「門前仲町」駅で下車し、徒歩数分です。「富岡八幡宮」のすぐ隣です。

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