一橋徳川家 屋敷跡 |
奥の方に一橋が見える |
一橋徳川家 屋敷跡(ひとつばしとくがわけやしきあと)
所在地 千代田区大手町1-4
一橋徳川家は、寛保元年(1741)徳川8代将軍吉宗の第4子宗尹(むねただ)が江戸城一橋門内に屋敷を与えられたことがはじまりである。皇居の北端、平川門交差点の近くに、のち徳川15代将軍となる徳川七郎麻呂が養子に入った一橋徳川家の屋敷があった(徳川七郎麻呂 → 一橋慶喜 → 徳川慶喜)。碑がある場所には丸紅本社ビルが建っている。
一橋家・田安家・清水家は御三卿(ごさんきょう)と呼ばれ、御三卿は将軍家に世継ぎがなく、御三家(尾張・紀伊・水戸)にも将軍となりうる該当者がいない場合に将軍を送り込める家柄で、十万石の格式をもち、直属の家臣団を持たず、将軍家の身内として待遇された。
当家は、2世治済(はるさだ)の長男家斉(いえなり)が11代将軍となり、水戸家より入った一橋9世が徳川最後の15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)であり、御三卿の中でも幕政に深く関わった。
敷地は広大で、この一角のほか気象庁・大手町合同庁舎付近まで及んだ。
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