JR亀山駅。
2024/1/5夕方関駅から旧東海道を辿り、亀山駅まで歩きました。
(2024/1/6)
亀山駅付近で一泊した後ゆっくり史跡めぐりすることにしました。
史跡伊勢亀山城跡
「江戸時代後期、亀山城主・石川家の家老職を務め、亀山城西之丸に居を構えていた加藤家の屋敷。もともとは相当な敷地面 積があったようですが、明治後ほとんどの建物が他所へ移築されました。現在は屋敷の表門である長屋門とこれに連なる土蔵などが遺されており、白壁や白と黒の対比が美しいなまこ壁が、武家屋敷の威厳と風格を感じさせてくれます。江戸時代後期の建築で、当時の武家建築様式を今日に伝える希少な遺構として、亀山市文化財に指定されています。」
(オフィシャルHP)
住所:亀山市西町410
「飯沼慾斎の母方の親戚で医学や儒学を習っていた飯沼長顕の邸跡であり、飯沼慾斎が飯沼長顕の娘と結婚し、この地で蘭方医として医学に従事した。
飯沼慾斎・・・本草家。伊勢亀山の西村安守の次男。母方の親戚で大垣藩内で町医者をしていた飯沼長顕のもとで儒学、医学を習い、京都で福井丹波守に学んだ後に飯沼長顕の娘と結婚して飯沼長顕の跡を継いだ。28歳の時に江戸で宇田川玄真に蘭学を学ぶ。
天保3年(1832年)に義弟に家業を譲って隠居し、大垣郊外に平林荘を築いて30年ほど本草学の研究に専念する。
リンネの分類法を用いた日本で最初の体系的な植物図鑑「草木図説」を安政3年(1856年)から文久2年(1862年)にかけて出版。
「草木図説」は幕府の目に留まり蕃書調所に出役要請を受けたが老齢の故をもって辞退。人体解剖、種痘、写真の研究などにも取り組んだ。
天明2年(1782年)6月10日誕生。慶応元年(1865年)閏5月5日死去。
住所 岐阜県大垣市俵町131 周辺」
参考リンク
[2] 亀山こども歴史館
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