Sunday, July 24, 2016

Mount Nokogiri in Chiba Prefecture 千葉鋸山


百尺観音
世界戦争戦死病没殉難者供養と交通犠牲者供養のために発願され、昭和35年から6年の歳月をかけて昭和41年にかつての石切場跡に彫刻完成されました。
航海、航空、陸上交通の安全を守る本尊として崇めらています。
鋸山日本寺公式サイト
地獄のぞき
地獄のぞきの上から
地獄除きの右側への眺望
百尺観音の方から見る地獄のぞき
鋸山山頂からの眺望
鋸山山頂からの眺望
千五百羅漢
日本寺大仏
【大仏(薬師瑠璃光如来)】
薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい) は世界平和、万世太平を祈願し、天明三年(1783年)に大野甚五郎英令が27人の門徒と岩山を3年かけて彫刻したものが原型です。その後昭和41年に4カ年にわたって修復されました。鋸山日本寺公式サイト
大黒堂
【大黒堂】昭和十四年の大火によって焼失された後、復興計画の元、平成十七年に再建されました。弘法大師の彫られたと言い伝えられている大黒尊天が祀られています。(御前立は現代の名工渡辺貞光作)
鋸山日本寺公式サイト
薬師本殿醫王殿)】
昭和十四年の大火によって焼失された後、復興計画の元、平成十九年に再建され、長い間仮本堂にあった日本寺の御本尊が移されています。
漱石・子規鋸山探勝碑建立趣意書
 近代日本文学史上、燦然と輝く明治の文豪・夏目漱石と近代俳句の祖・正岡子規との友情の舞台が房州の鋸山(千葉県安房郡鋸南町保田)にあります。  正岡子規が明治22年5月に詩文集『七草集』を親友の夏目漱石に示すと、漱石は丁寧な批評を寄せました。
 『七草集』に触発された漱石は、同年8月房総を周遊して漢文紀行『木屑録』を執筆して子規に届けました。子規はこれを激賞しました。ともに詩文の友であることを確認しあったのです。『木屑録』には、房州鋸山の悠久と自然の美しさが綴られております。
 2年後の明治24年春、子規もまた更なる詩想を求めて房総を周遊し鋸山山頂からの眺望を漢詩に綴った紀行『かくれみの』を書きました。これを読んだ漱石は子規の着想のよさを讃えました。
 以降、二人は生涯にわたっての絆を深めて参ります。のちに漱石は『こころ』などの作品に房州の自然や地理を取り込み、子規もまた房州の地名を織り込んだ俳句を数多く詠んでおります。  
 4年後、平成29年には漱石・子規ともに生誕(慶応3年・1867)150年を迎えます。二人の偉業と溢れる友情の証を末長く讃え続けたいと願っております。
 ここにわたくしどもは、房州鋸山の日本寺に漱石・子規鋸山探勝碑の建立を発願致しました。
 つきましては、皆々様のご協賛を仰ぎたく、お願いいたすものであります。
                                 平成25年7月吉日
                      漱石・子規 房州鋸山探勝碑を建てる会
                          高橋 喜安
                          関   宏夫
                          永橋 続男  
【頼朝蘇鉄】
源頼朝が再起を図った折に日本寺で武運を祈願し、自ら蘇鉄を手植えしたと伝えられる大蘇鉄です。
樹齢800年を超えています。
日本寺鐘(国指定重要文化財)】
鐘銘には、初めに下野国佐野庄堀籠郷(栃木県佐野市掘米町) の天宝寺鐘として寄進され、60年を経て鎌倉五山の浄妙寺鐘となり、江戸湾を渡って日本寺鐘となった経緯が書かれてあります。
蝸牛石
弘法井 (Ko Bo No I)
弘法 大師手穿の井
千年未だ絶えず
ロープウェイ乗り場の売店にあるお土産
鋸山ロープウェー 
営業時間は9時から17時(夏)か16時(11月16日~2月15日の冬季)まで
やっほー!! 鋸山 329m
鋸山ロープウェーの頂上駅
鋸山ロープウェーの頂上駅からの景色



日本寺の拝観料は600円で、最寄り駅は内房線の保田駅と浜金田駅です。

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