江戸・東京の農業 亀戸の大根
このあたりで大根づくりが始まったのは、記録によると文久年間(1861~64)の頃とされ、当香取神社周辺が栽培の中心地で、以来、明治時代にか けて盛んに栽培されてきました。当地は荒川水系によってできた肥沃な粘土質土壌であったため、肉質が緻密で白く冴えた肌の大根づくりに大変適していまし た。
亀戸大根は、根が30㎝程度の短い大根で、先がクサビ状にとがっているのが特長。 明治の頃は「おかめ大根」とか「お多福大根」といわれま したが、大正初期になって産地の名をつけて「亀戸大根」と呼ばれるようになりました。しかし、宅地化が進んだ大正時代の終り頃から産地は江戸川区小岩や葛 飾区高砂などに移っていきました。
秋から冬に種をまいて早春に収穫となる亀戸大根は、当時は他に大根などの全くない時期で、新鮮な野菜の出始めの頃なので根も葉も共に浅漬けにして美味しいことから、江戸っ子から大いに重宝がられました。
平成9年度JA東京グループ
農業共同組合法施行五十周年記念事業
The AGRICULTURE OF EDO & TOKYO
Kameido Daikon
Cultivation of Daikon (Japanese radish) in this district dates back to the years 1861-1864. With its center around the area of this shrine, it had been abundantly grown toward 1900s. The fertile clay soil formed by the Arkawa River was just fit for its production.
Sown in fall to winter, the Kameido Daikon was harvested and shipped in early spring when the supply of fresh vegetables became scarce. Root and leaves were all eaten as fresh tasty pickles and relished by all the Edoites. |
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