Sunday, March 30, 2014

Seven Lucky Gods at Shibamata 柴又七福神

恵比壽札所 薬王山 醫王寺
真言宗豊山派の医王寺は、薬王山瑠璃光院と号する。観賢法印が応永14年(1407)に創建、下総国分寺下の薬王寺と呼ばれたと伝えられる。戦国時代の国府台合戦で罹災、寛永年間(1624-44)金蓮院の僧某が再興、医王寺と改称した柴又七福神のうちの福徳恵比寿天で、南葛八十八ヶ所霊場57番札所。
大黒天札所 大黒山 寶生院
真言宗智山派寺院の宝生院は、大黒山と号する。寛永元年(1624)常陸国大聖寺末宝性院として京橋付近の創建、下谷谷中への移転を経て、明暦年間に池之端茅町へ移転したという。関東大震災で罹災し、昭和2年当地へ移転した。柴又七福神の一つとなっている大黒天は、江戸期から信仰を集めていたと伝えられる。境内脇は遍照院の新柴又中央霊園、正面左脇は題経寺の墓地である。南葛八十八ヶ所霊場の50番札所。
福禄壽札所 聖閣山 萬福寺
曹洞宗寺院の万福寺は、聖閣山と号します。昭和3年に創建、柴又七福神福禄寿
毘沙門天札所 経榮山 題経寺
日蓮宗寺院の題経寺は、経栄山と号し、柴又帝釈天として著名である。題経寺は市川市中山法華経寺第19世禅那日忠が当地にあった草庵を一寺とし成し、寛永6年(1629)開山したという。本堂改築に際して、梁の上から日蓮聖人自刻と伝えられる帝釈天像の板木(板本尊)を安永8年(1779)の庚申の日に発見、柴又帝釈天として著名となり、現在に至るまで庚申の日を縁日としている。柴又七福神のうちの毘沙門天としても有名です。題経寺の墓地と、浅間山噴火川流溺死者供養碑は葛飾区柴又5-9-18にある宝生院横にある
辯財天札所 石照山 真勝院
真言宗豊山派の真勝院は、石照山真光寺と号する。大同元年(806)の創建と伝えられ、江戸時代までは柴又八幡神社の別当寺であった。柴又七福神のうちの弁財天、新四国四箇領八十八ヵ所霊場28番である。柴又帝釈天題経寺のすぐ横にあり、真勝院からは題経寺の大鐘楼がよく望める
布袋尊札所 弘誓山 良観寺
真言宗豊山派の良観寺は、弘誓山観音院と号する。創建年代は不詳ですが、室町時代末期から江戸時代初期にかけての間に念仏堂として建立されていたと考えられ、その後両観寺・了観寺として一寺となっていたという。柴又七福神のうちの宝袋尊、江戸川七福神の布袋尊、また南葛八十八ヶ所霊場の52番、新四国四箇領八十八ヵ所霊場29番である。お腹に両手を願掛けを祈る宝袋尊がある。
壽老人札所 金亀山 観蔵寺
真言宗豊山派寺院の観蔵寺は、金亀山神宮院と号する。文明元年(1469)僧空性坊が創建、承応2年(1653)隆敬法印が中興開山したと伝えられる。柴又七福神のうちの一つ寿老人、また南葛八十八ヶ所霊場の第10番、新四国四箇領八十八ヵ所霊場26番である。京成本線沿いにあり、京成高砂駅からも望むことができる。線路向かいには高砂天祖神社がある
七福神めぐりは、柴又駅からだと思うかもしれないが、都内から来た人であれば、高砂駅近くにある観蔵寺からスタートするという経費削減ルートもあります。
 朱印の台紙は、朱印紙が200円、ご朱印が200円です。

No comments:

Post a Comment